正統と認められる知は、知られうることの中のほんの一角にすぎない。
世界には存在を認められてこなかった周縁の知、生活の知、そして言葉ならざる痕跡として残された知が存在する。
私たちは何を知り、何を知らずにいるのか。それを知るには、知の成り立ちを振り返ってみる必要がある。
正統な知とは何か?
誰がそれを形づくるのか?
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近代性の陰で――ワルテル・ミニョーロが明らかにする世界秩序の植民地性
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二つの人間中心主義――環境倫理学とポストヒューマニズムの齟齬を確かめる
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渡りの糸口
知はものの見方を規定する。けれどもそれは、どんな枠組みのもとに形作られた知なのか。
私たちは知らず知らず、特定の知を唯一の真実と思い込んでいないだろうか。
CODEXから、支配的な知を揺さぶるための糸口を探ってみよう。
「白い食」と「緑の食」―――モンゴル語におけるベジタリアンとビーガンの概念
ある物事や営みをどう捉え、どんな言葉で言い表すかが、知の分岐を生む。
新しい言葉との出会いは、私たちが一つの知識体系に囚われていた事実を浮き彫りにする。
その地名は誰のものか?――地図空間をめぐるもう一つの植民地化と脱植民地化
名を与えること――それは権力の行使という側面を持つ。
主流の呼び名に逆らうことは、時に知の権力を揺さぶる実践となる。
さらに探究する
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「アホロートル」とは何者か?――同じ生きものを捉える二つの知識体系
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「人間中心主義」――環境倫理学とポストヒューマニズムの違い
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次に渡るのは?
知は私たちの視界を広げるようで、その実、不都合なものを覆い隠すものでもあるのではないか。この問いは「抑圧と生」という路へ渡される。
知が多様であるのなら、異なる知の向こうには異なる声が存在するのではないか。この問いは「声の地層」という路へ渡される。
