



植民地性はすなわち、近代性の成立基盤である――植民地性なしに近代性は存在しない。
これはラテンアメリカの脱植民地性理論を形成した思想家の一人、ウォルター・ミニョーロ(Walter Mignolo, 1941- )の言葉です1。
近代とはどのような時代だったでしょうか。様々な説明の仕方が考えられますが、ヨーロッパにおけるそれは第一に、新しく発達した科学的方法によって迷信を脱する時代の始まりでした。かたやアメリカ大陸の発見は富の産出によって資本主義経済を生み、技術と産業の発展を促しました。神中心の中世的世界観は人間中心の世界観へと変わり、進歩と救済のレトリックが根付くこととなります。
近年の人文学では、このような近代の進歩史観が問い直されていますが、世界の標準は依然として西洋近代の理想に囚われています。私たちは西洋近代をほぼ唯一のモデルとし、その文化・思想・社会制度の模倣に努めています。
しかし、西洋の近代化を支えたアメリカ大陸に目を移すと、その経験は全く異なるものでした。
近代性の暗部――使い捨てにされる生命
ウォルター・ミニョーロの著書『西洋近代性の暗部』によれば、進歩と救済を謳う近代の背景には、血生臭い植民地性の歴史がありました。すなわち、近代が生んだ資本主義と科学革命は、その輝かしい言説に彩られた物語の陰で、人命と生命全般を使い捨て可能な資源として扱ってきたというのです2。アメリカ大陸の「開拓」や奴隷制はその象徴であり、これによって近代ヨーロッパは資本主義の発達に不可欠な富を蓄積します。かたや知の領域においては、人種理論が人間集団の優劣を語り、生命の使い捨てを科学の名において正当化してきました。
こうした歴史を踏まえ、ミニョーロは近代性が植民地性と表裏一体であったと論じます。このグローバルな搾取構造は特に産業革命以降、いよいよ顕著になりました。
現在も続く植民地性
実のところ、同じ構造は新植民地主義や世界秩序の不平等といった形で、現在も存続しています。私たちはいまだ、近代が形成した世界秩序のもとにあり、周縁化された諸地域の人命と生命全般を使い捨て可能な資源として扱っています。それは農産物や衣服の生産・流通システム、あるいはスマートフォンに使われる鉱物資源の由来を調べるだけでも見えてくるでしょう。そして冒頭に述べたように、私たちはそうした世界にあってなお、西洋の文化・思想・制度を模範かつ規範としています。その意味で、私たちは近代の呪縛を克服できていません。その近代性の裏に今なお存在する植民地性を可視化し、文明や文化の理想モデルを考え直すことは喫緊の課題と言えるでしょう。
と同時に、植民地性が多種関係にどのような影響を与えてきたかも考えなければなりません。ミニョーロいわく、植民地性は人命だけでなく生命全般を使い捨てにしてきました。ニュースレター「LIMINOSCOPE」ではこのテーマを受け継ぎ、人間以上の観点から植民地性の諸相を分析していきます。
註
- Walter Mignolo (2011) The Darker Side of Western Modernity: Global Futures, Decolonial Options, Duke University Press, p.3.
- Ibid., p.6.
