私たちが生きる現実は誰によってつくられ、維持されているのか。ある者たちはこの世界で華々しく活躍し、多くの機会に恵まれる。ある者たちはその存在を顧みられず、日陰へと追いやられる。正しいこと、間違っていること、目に入るもの、入らないものは、どんな力の作用によって決められているのか。支配と従属の関係を形づくるものは、何なのか、誰なのか。
マリリン・フライの著書『現実をつくる政治学』は、私たちの生活を取り巻くそんな疑問に挑んだ本である。ここでは、同書が展開する議論のエッセンスを拾い出し、そこから広がる展望を見てみよう。
第一章
マリリン・フライの思想地図
フライの著書が出版されたのは、第二波フェミニズムの運動が盛り上がりを見せていた1980年代のことだった。「個人的なことは政治的なこと」という有名な言葉通り、個人の経験を取り巻く社会構造の分析に取り組んだことが、この時期のフェミニズム、特にその中核を担ったすラディカル・フェミニズムを特徴づける。フライの議論を広い文脈の中で理解するためにも、まずはその歴史的・思想的な位置づけを確かめておこう。
第二章
抑圧の原理を解き明かす
抑圧は社会の中に制度や常識や習慣として浸透しているため、その実体を摑むことは難しい。人々は生きる中で様々な苦痛や困難を経験するが、その多くは個人的なエピソードとして見過ごされてしまう。一方、自分が置かれた状況の理不尽さには気づきながらも、どこにその原因があるのかは捉えがたいこともある。
現実の歪みに立ち向かうためには、まず理論の力によって歪みの正体を明らかにするプロセスが欠かせない。フライは女性たちの日常経験を振り返りつつ、その背景にどんな抑圧原理が働いているかを解き明かした。
第三章
「人間」とは何なのか
あらゆる人間は平等であり、人権を保障されることになっている。
けれども、実際の社会には支配する側の人間とされる側の人間がいて、「いない者」のように扱われる人間もいる。ある者たちは発言の機会にも仕事の機会にも恵まれる一方、ある者たちはそれらの機会を持てずにいる。
社会からないがしろにされている者たちは、「人間」ではないのだろうか。そもそも、「人間」とは誰のことなのか。
この問いは、ヒューマニズムや「人間」という概念の問い直しへと通じている。
関連資料
第四章
広がる地平
フライの議論は、現実の成り立ちを振り返ることに始まり、抑圧的な社会がいかにして形づくられているのか、誰の利益のためにそれが維持されているのか、尊厳の境界線はどこに引かれているのかといった問いにまで広がっている。これらのテーマは、フェミニズム理論と他の領域の接点となる。
フライが照らし出した問題系を、他領域の視点から見つめ直すと、新たな発見があるに違いない。いくつかの路を探ってみよう。
ヒューマニズムの思想が女性を排除してきたのだとしたら、近代という進歩の物語は、誰を犠牲にしてきたのだろうか。
現実とは誰の視点で作られているのか。これは、誰の知が正統性を認められるのか、主流とされるのかという問いへとつながっていく。
女性はしばしば「いない者」のように扱われる。不在化という問題はしかし、様々な他者に対して行なわれる。私たちの日常生活において、素通りされている苦しみはないだろうか。
