



フェミニズムは男性支配的な社会秩序を問い直し、変えていく取り組みとして続いてきました。一見すると、それはあくまで人間社会における不平等を問題とするものであり、人間以外の生きものをめぐる倫理とは無縁の運動・思想に思えます。
しかし、フェミニストのマリリン・フライは、男性中心主義と人間中心主義のつながりに目を向けていました。それはヒューマニズムを問い直す文脈で議論されます1。
ヒューマニズムと人間中心主義
ヒューマニズムは人間の尊厳や自己実現を擁護する思想ですが、その根底には常に、人間を他の動物と比較してその優位性を確認・確立する論理がありました。人間は他の動物にない独自の特徴を持つ、ゆえに尊い、という考え方です。これはそのまま人間中心主義に直結し、人間は他の動物に優越している以上、他の動物を道具として扱ってよく、さらに絶滅が危惧されそうになったら庇護者としてその保護を行なうべきだという思想を生みました。
人間を尊い存在と見る根拠は、理性・知性・言語などの特徴、あるいは人類が生み出してきた様々な発明の歴史でした。もちろん、人類の偉業とされるものは一部の人間の業績にすぎませんが、人々はただ人間の一員であるというだけで他の種に優越すると考えられてきました。人間の偉大さを称えるヒューマニズムは、人間と他の動物の序列を設け、動物を貶めることで成り立っていたといえます。
ヒューマニズムは男性中心主義に接近する
しかし、人間を偉大ならしめる特徴は、古くから「男性的」とされる特徴でもありました。理性にせよ知性にせよ、文化・技術・言語・科学にせよ、それらは伝統的に男性の領分と考えられています。女性は理性も知性も男性に劣る存在とみなされ、歴史上の偉人として顧みられることもありませんでした。
とすると、伝統的なヒューマニズムが称える「人間」とは、ホモ・サピエンス全体ではなく、実のところ男性と想定されていることが見えてきます。実際、Manという言葉は人類の総称として使われ、人間と男性はあたかも同義のようにみなされてきました。
そして女性たちは伝統的に意思や主体性を認められず、利用や管理や「保護」の対象とされてきました。女性は人間として――あるいは人格(パーソン)として――扱われていないという主張には、かなりの妥当性があります。
ここにおいて、人間を存在の序列の頂点とするヒューマニズム的な人間中心主義は、性別による序列の頂点に男性を置く男性中心主義に合流します。
「人間」を問い直すフェミニズム?
フライはヒューマニズムの批判を通して、人間中心主義と男性中心主義の歴史的な繋がりを浮かび上がらせました。フェミニズムは第一に女性解放を目指す思想かつ運動ですが、女性抑圧の根底に、ヒューマニズムが構築した「人間」という概念の問題が横たわっているのだとすれば、議論の射程はおのずと広がっていくでしょう。
フェミニズムの歴史において、非人間化された存在や人間以上の存在をめぐる考察が、細くも息の長い系譜を形作ってきたのは、ゆえのないことではありません。
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註
- マリリン・フライ著/井上太一訳(2026)『現実をつくる政治学――性・言語・認識をめぐるフェミニズム理論エッセイ集』慶應義塾大学出版会、第3章。
