



私たちの周りには他者を評価する言葉が溢れています。「使えない人間」という言葉は何年も前からありました。「気の利く人/気の利かないやつ」などの言葉もよく使われます。人間以外にまで視野を広げれば、「害虫/益虫」という分類もあります。しかしこのような評価は、何を尺度に、誰が下すのでしょうか。この問題を考えるに当たって、フェミニストのマリリン・フライが論じた「我が物顔の目」という概念は重要な手がかりとなります1。
他者を自己利益に従える傲慢
フライが突き止めようとしたのは、私たちの暮らす現実が誰によってどのように作られているのかという問題でした。そこで鍵となるのが、この「我が物顔の目」(the arrogant eye)という概念です。直訳すると「傲慢な目」ですが、ここでいう傲慢/我が物顔とは、権力や特権を持つ者が、自分の利害に紐づけて他者を評価する態度を指します。
例えば、妻は常に家庭を快適な環境に保っていて当然だと思っている夫などは、現代でも珍しくないでしょう。部下は何も言われずとも雑用をこなして当然だと考える上司もいます。そうした人物は、物事が自分の思い通りになっていない場合、(自分が悪いのではなく)妻なり部下なりが「優秀でない人間」なのだと考えがちです。このような認知の根底にあるのは、他者を自分の利害に紐付けて評価する態度です。それは世界を「我が物にする」態度ともいえるでしょう。この認知は人間以外にも及び、自分の肌を刺す虫は「悪い虫」、自分が理解しにくい説明書は「悪い説明書」(もしくは「頭の悪い人間が作った説明書」)などと思い込むまでに至ります。
現実の構築
無生物はともかく、人や他の生きものは自分の利益にかなうことをしていてこそ健全に生きられます。ところが我が物顔の目は、他者が他者自身の利益にかなっているかはお構いなしに、自分の利益にかなっていないことでその他者を悪い存在や劣等者、問題児などに分類します。それは何が良く、何が悪いか、何が正しく、何が間違っているかを秩序づける一つの価値体系、一つの「現実」をつくる企てとなります。
しかしそれだけではありません。その世界観はそっくりそのまま実際の扱いへと反映され、問題があるとされる人や生きものは矯正や教育や破壊の対象とされます。例えば、自分の思い通りにならないパートナーに説教を行なう人物は少なくありません。我が物顔の目にまなざされる者は自分の価値判断を狂わされ、他人の利益に従属させられます。人間以外の存在は「訓練」や「改良」を施されますが、それが通用しなければ「害虫」や「害獣」として殺されます。
支配原理としての我が物顔
我が物顔の目は、モラルハラスメントや人間中心主義の根底にある心理を見事に説明します。それは支配の普遍的な原理といえるかもしれません。
このような認知の様式を踏まえるなら、私たちは世の中に存在する「良い/悪い」などの評価が、一体誰の利益にもとづいたものなのかを慎重に考える必要があるでしょう。と同時に、この概念は自分の他者評価が単なる自己利益の反映ではないかと内省するきっかけも与えてくれます。
人間による世界や他者への関わり方を批判的に見つめ直していくうえで、我が物顔の目という概念は重要な参照点となるに違いありません。
関連資料
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註
- Marilyn Frye (1983) Politics of Reality: Essays in Feminist Theory, Crossing Press. 特にCh.4を参照。
