植民地化の歴史や抑圧的な社会構造を背景に、人々がますます分断や対立へと向かわされている中、私たちはどうすれば相互理解の芽を育むことができるのでしょうか。 この問題を考えるうえで重要な手がかりを与えてくれるのが、申知瑛の著書『コロニアル・エンカウンター』です1。
本書は、植民地主義と他者化の論理に迫るポストコロニアル批評の研究成果であり、大きな痛みを伴う問いを投げかける著作でもあります。その中核にあるのは、抑圧される者たちのあいだにも存在する「比較と位階」の論理を、いかにして乗り越えるかという課題です。これはあらゆる解放の歩みが行き当たる問題ですが、いまだ充分には語られてきませんでした。
比較と位階
人々は絶えず、自分(たち)と他者を見比べ、両者のあいだに意識的・無意識的な優劣の序列を設けます。これが「比較」と「位階」です。人種によって人々の価値を比較し序列化する人種主義は、その明瞭な例の一つであり、植民地支配はこのような人種主義の論理を支配の正当化に用いてきました。
しかし、比較と位階の論理は強大な権力だけが用いるものではなく、そのような権力によって抑圧される人々、すなわち「他者化」された人々のあいだにも存在します。例えば、植民地主義の支配を被る人々の中にも、人種や民族や性別などの違いがあり、それらの属性によって分断や周縁化が生じます。そしてもちろん、支配を受ける人々のコミュニティにおいても、動物は周縁的な存在として位階の構造に組み込まれています。これは珍しいことでも例外的なことでもありません。
本書はそのような論理に迫り、いかにしてこれを乗り越えるか、どこにその乗り越えの可能性があるのかを考えます。「他者は別の他者と比較なしに出会えるのか」――これが本書を貫く問いです。
抑圧の連鎖と関係支配
この問いは被抑圧者の加害者性を浮き彫りにするため、痛みを伴わずにはおきません。抑圧される者たちは、何よりも抑圧者と闘う必要があります。植民地化された人々であれば、植民地主義への抵抗こそが最も重要な課題となるでしょう。そのような状況において、他者化された人々自身も抑圧的論理に囚われていると示唆することは、大きな緊張を生みそうにも思えます。
しかし、人々の思考に植え込まれたその抑圧的論理そのものが、抑圧者によってもたらされたという点も見逃してはなりません。著者は言います。
何よりも、植民地主義・資本主義・家父長制などの支配秩序は単一な統治秩序ではない。植民地では、その内部に長く存在してきた複雑な関係を活用しながら統治が行われた。したがって、権力への抵抗も一つの争点だけでは成り立たない。 2
すなわち、植民地主義は関係の統治支配でもあったという指摘です。脱植民地化の議論では、被抑圧者の心理に内面化された植民地主義の克服が課題とされますが、被抑圧者たちの関係をゆがめる比較と位階の論理もまた、植民地主義の深刻な傷痕に違いありません。このような他者化の構造を乗り越えることが、脱植民地化の不可欠なプロセスであると著者は論じます。
問われる読者の立場性
本書は、植民地支配のもとで抑圧されてきた人々の連帯可能性を探る著作ですが、日本という国の歴史を負う読者は、この問題提起といかに向き合うかが問われます。傍観者的な態度で本書に臨むことがあってはならないでしょう。日本帝国はまさに、被支配地域に生きる人々の関係を利用し、比較と位階の構造を統治の手法としてきた国だからです。その意味で、著者の議論は、植民地支配を受けた人々の課題としてのみ読まれるべきではありません。
本書が投げかける問いは、比較と位階の論理を利用する側にいた者、そしてその歴史の上に今を生きる者たちにこそ向けられています。
関係の利用と統治支配、そしてそこからの脱却をテーマとした本書の議論は、ニュースレター「LIMINOSCOPE」でさらに掘り下げます。
註
- 申知瑛著(2024)『コロニアル・エンカウンター――比較に抗して』勁草書房。
- ibid., p.4.
