なぜ、脱人間中心主義なのか?

 交界の羅針盤は「人間中心主義を超えた知と倫理」の創造をテーマとします。しかし、人間中心主義を超えるとはどういうことで、なぜそれが重要な意味を持つのでしょうか。この問いにはさまざまな角度からの答え方が可能ですが、LOGBOOKの初回となる本稿では、人間と他存在の関係に光を当てつつ、この問題を考えてみたいと思います。

人間中心主義の歴史

 人類は古来、人間と他の存在を切り分け、もろもろの生き物や自然物を資源として利用してきました。それはもともと、自他を分けるごく自然な世界観にもとづく営みであり、生物や環境の利用も人類が生きていくために必要なことだったと考えられます。しかし、そうした認識と活動は、人間社会が広がり高度な文明が育つ中で、異種の存在を貶め抑圧する傾向を強めていきました。とりわけ、ルネサンス以降の西洋思想では人間が世界の中心と位置づけられ、人類の発展と進歩のために自然を征服する企てが是とされるに至ります。人間中心主義はやがて資本主義や帝国主義と結びつき、種の異なる動物や植物、さらには「人間」の枠から外された膨大な人々の集団を、搾取と破壊の渦に巻き込みました。
 私たちはこのような人間中心主義の問題をおおよそ理解していますが、にもかかわらず今日に至るまで、その枠組みを抜け出すことができていません。主流の正義はいまだにヒューマニズムのままであり、人間の幸福を第一と考えるその思想は、依然として他の存在を関心の外に置いています。そして皮肉にも、このような人間中心主義に基づく文明の躍進は、環境汚染や気候変動、パンデミックなどの深刻な問題群を生み出し、人間自身をも含むあらゆる地球存在の生存を脅かしています。

以下略


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