【あ】
【か】
環境倫理学
英:environmental ethics
環境やそこに生息する生物に対し、人間がどのような根拠でどのような義務や責任を負うのかを考える倫理学の一分野。制度化された学問としてのそれは1970年代以降の欧米圏における環境保護運動を背景に発達したが、近年では世界各地の伝統に重要な環境保護思想が存在していたことが「再発見」され、その評価が高まっている。
環境倫理学はもともと生命倫理学の一環とされていたが、生命倫理学が人間生命の尊厳という主題に焦点を絞る傾向を強めたことから、やがて両分野は枝分かれの道をたどった。
環境倫理学は立場やフォーカスの違いによって、土地倫理やディープ・エコロジー、エコフェミニズム、社会主義エコロジーなどの諸分野を生んだが、その中で古くから論争の的となってきたのは、自然環境を人間による干渉から守ることを目指すべきなのか、自然環境を人間が賢明に利用することを認め、自然と人間の共生を図るべきなのかという点だった。前者を保存(preservation)、後者を保全(conservation)の立場という。今日の持続可能な社会づくりやSDGsの考え方は、基本的に保全の立場をとっているといえる。
その他、環境倫理学が扱う各論的主題としては、気候変動、生物多様性、持続可能性、土壌・水質・大気汚染といった身近なものから、食と環境、環境保全と不平等(環境正義)、未来世代への責任(世代間倫理)といった構造的なものまでが含まれる。
人間以外の存在を視野に入れる倫理学としては、環境倫理学のほかに動物倫理学もあるが、道徳的配慮の基準や範囲をめぐる考え方の違いから、両分野は協働とともに論争も重ねてきた。
関連概念:動物倫理学
【さ】
菜食主義
☞ ビーガニズム、ベジタリアニズム
資本主義
英:capitalism
生産活動に投じる元手を「資本」という。資本を投じて商品をつくり、商品を売って儲けを生み、儲けをさらなる資本として生産拡大に投じ、さらに大きな富を生む、といったプロセスでは、資本という形をとった「価値」が自己増殖していくことになる。このような資本の自己増殖運動に支えられた経済体制を資本主義という。簡略化すれば、資本主義とは「儲けが儲けを生むプロセス」に支えられた社会と定義できる。ドイツの経済哲学者カール・マルクスは、労働者が生み出す価値のうち賃金を超える部分(剰余価値)が資本として蓄積される仕組みがこのプロセスを支えていると考えた。
レスター・サローとロバート・ハイルブローナーなど、一部の経済学者によると、資本主義以前の社会では、人々は伝統や身分に縛られ、生まれによって職業や生活が強く規定されていた。市場はごく限定的で、土地や労働の本格的な売買もなかった。資本主義はそのような伝統秩序を解体し、人々に自由を与えるとともに競争社会で生き抜くことを求めた。
市場競争の中で沈まずにいるために、資本を持つ者は技術開発によって同業者を出し抜き、商品開発によって新たな市場を開拓していくことが使命となった。資本主義社会はこうして、無限の拡張・成長と、あらゆるものの商品化を特徴とする体制へと育ち、今日に至る。
資本主義のもとでは、価値を生む可能性のあるものは生物・無生物の区別を問わず商品システムに組み込まれる。いまや動物も自然も商品とされ、売買の対象となった。土地は「不動産」と化し、所有者の意向次第でどのようにも開発される。動物の身体は富を生む手段として扱われ、資本の投入によって生産性や効率性を高めるよう改変される。こうした現象は、資本主義の競争原理が働く社会の大きな特徴をなしている。
種差別
英:speciesism
種の違いに応じて生物集団の利害を異なる尺度で評価すること。特に、人間に属する者がみずからの利害を過大評価し、他の動物の利害を過小評価することを指して使われる。心理学者リチャード・ライダーによって発案され、倫理学者ピーター・シンガーの著書『動物の解放』を通して広く知られた。シンガーは種差別を「自分が属する種の成員にとって有利となり、他種の成員にとって不利となるバイアスもしくは偏った態度」と定義した。
「種」という生物学的概念の問題はさておき、種が異なれば何を利益または不利益とするかも異なってくるので、その違いに応じて適切な扱いも変わることは論を待たない。例えば、人間に参政権を認めることは利益となるが、豚や犬に同じ権利を認めても利益にならない。したがって人間のみに参政権を認め、豚や犬にそれを認めないことは、両者の利害を公平に評価したうえでの合理的な判断であり、差別にはならない。
それに対し、苦痛を負わせること、自由を奪うこと、芸を強いることなどは、人間にとっても他の動物にとっても不利益になる(逆にそのような加害を禁じることは、両者にとって同様の利益になる)。ところが今日の社会では、人間に正当な理由なくそれらの害をおよぼすことが問題視される一方、他の動物にそれらの害をおよぼすことは容認されている。例えば食肉産業やペット産業や娯楽産業が動物に行なっていることは、人間に対して行なえば重大な人権侵害となる。すなわち、動物産業では人間に対して行なってはならないことが、人間と同様の利害を経験する動物に対して公然と行なわれている。これは、人間と他の動物の利害が異なる尺度で評価されていること、人間の利害だけが重視され、他の動物の利害が無視または軽視されていることを物語っている。種差別という概念は、このような不合理を指摘するために用いられてきた。
なお、シンガーの定義にもあるように、種差別は長らく個々人の「偏見」や「態度」として理解されてきたが、社会学者のデビッド・ナイバートは差別が社会構造によって作られることを踏まえ、種差別をイデオロギー、すなわち社会の既成秩序を正当化する集団的な信念体系と捉え直した。
関連概念:動物解放論、動物倫理学
【た】
多種正義
英:multispecies justice
人間だけでなく、動物・植物・微生物・生態系など、多様な存在者の利益を正義の要請と捉える政治哲学。用語としては、ダナ・ハラウェイ『種が出会うとき』(2008)での使用が初期の例として知られ、その後、多種民族誌や環境正義の議論と結びつきながら理論化が進んだ。
多種正義は人間中心的な正義観の批判と、多種の関係網全体を考慮した社会変革の要求を使命とする。生態系の分断、動物の大量殺害、生息地の破壊などを、構造的・政治的な不正とみる点がその特徴をなす。
この立場は、正義や権利の概念を拡張し、意思決定の過程に多様な存在者の立場を組み込むことを試みる。例えば、生物多様性や他種の生存を考慮した都市計画、移動経路や生態系を保全するインフラ設計など、文明や生活様式の刷新がその課題となる。加えて、環境正義の系譜を受け継ぐ多種正義は、人間中心主義の見直しを図るだけにとどまらず、多様な人間集団の不均衡や脆弱性も視野に入れ、その克服をめざす。
こうしたことから、多種正義は批判的動物研究と重なるところが多いと考えられるが、前者は人間と他の動物以上の利害も勘案することに加え、「多種」という関係論的な枠組みを重視する点が独特といえる。
関連概念:多種民族誌、批判的動物研究
多種民族誌
英:multispecies ethnography
人間を取り巻く生物や無生物を客体として扱ってきた人類学の伝統を見直し、人間以外の多様な主体の関係と共創に光を当てる民族誌(日本では「マルチスピーシーズ民族誌」と称されることが多い)。ポストヒューマニズムや科学技術社会論(STS)の議論を背景に、人類学者のエベン・カークセイやステファン・ヘルムライヒ、トム・ヴァン・ドゥーレンらが提唱し、学際分野として発達した。
従来の人類学(さらに人文学)は、人間以外の存在を人間生活の資源・象徴・背景と位置づけてきたが、多種民族誌は多様な存在者の絡まり合いを前景化し、人間や他の動物、植物、微生物、鉱物などが互いに影響を与え、互いを形成し合うプロセスを観察・記述することに努める。
この枠組みでは人間の主体性も人間以外のそれも、自律的な個体に帰属するものというより、さまざまな他者との関係の中で立ち現れるものと理解される。したがって、例えば飼い馴らしの歴史は、人間と他の動物(およびその他の関係する植物や微生物)のそれぞれが互いをつくり変えていったプロセスと捉えられる。
その研究の射程とアプローチからうかがい知れるように、多種民族誌における「種」は、生物学的なそれよりも外延が広く、安定的・自律的な「種」概念を改めるものとなっている。
関連概念:多種正義、ポストヒューマニズム
動物解放論
英:animal liberation
動物利用の廃絶を目指す思想の一つ。1970年代に哲学者ピーター・シンガーが著書『動物の解放』で用いた例が初出と思われる。シンガーによれば、解放運動とは恣意的な基準による差別や偏見をなくそうとする取り組みを指す。したがって動物を種差別から解放する取り組みは、「動物解放」の名にふさわしい。
動物解放論は動物の権利論と同一視されることも珍しくないが、前者は権利よりも平等を重視するニュアンスが強い(特に功利主義者のシンガーは権利概念の有効性を認めない)。例えば動物搾取に反対する理由を比較した場合、動物の権利論は「動物たちの内在的価値を権利の防壁によって守る」という考え方をするのに対し、シンガー流の動物解放論は「人間の扱いと他の動物の扱いにみられる不平等を正す」という考え方をする。
ただし、今日ではシンガーの文脈を離れ、人間解放と連続する正義という意味で動物解放という語が用いられることも多い。その場合、「動物解放」と「動物の権利」は実質的な同義語になっていると思われる。
関連概念:種差別、動物の権利論、動物福祉論
動物の権利論
英:animal rights
広義には、動物利用に反対する立場の総称。正確には、権利の概念を用い、動物を人間の手段とすることを禁じる思想。古くから存在するが、1983年に哲学者トム・レーガンが著書『動物の権利擁護論』で理論を体系化する。
レーガンによれば、動物たちは人間と同じく、みずからにとって意味のある主体的な生を生きており、ゆえに他者にとって価値があろうとなかろうと、その存在は動物たち自身にとって価値がある。この自分という存在の価値を内在的価値(inherent value)という。正義のもとでは、あらゆる存在がその持ち分に見合った等身大の扱いを受けなければならないため、主体的に生きる存在はその内在的価値を尊重されなければならない。そこで、内在的価値を他者による侵害から守るための権利が打ち立てられる。
動物を人間の道具や資源として利用する行為は、かれらの内在的価値を否定することになるため、動物の権利はそれらの行為を認めない。すなわち、動物の権利はあらゆる動物利用の廃絶と、抑圧される動物の救援を人々(道徳の意味を理解する者たち)に求める。
このように、権利とは利益を守るための「防壁」であり、それを人間以外の動物に敷衍(適用)したものが動物の権利となる。
関連概念:動物解放論、動物福祉論
動物福祉論
英:animal welfare
人間に利用される動物の苦痛をなくし、その福祉状態を向上させようとする考え方。1950~60年代頃に、動物の扱いをめぐる問題提起がなされたことから形成された。具体的なものとして、動物実験分野における「3つのR」や、畜産分野における「5つの自由」がある。3つのRは、実験で利用する動物の削減と代替、および動物の苦痛を減らす実験手法の洗練化を指す(Reduce・Replacement・Refinement)。5つの自由は、飢えと渇きからの自由、不快からの自由、痛み・外傷・病気からの自由、恐怖・苦悩からの自由、本来の行動がとれる自由を指す。
これらのアプローチから見て取れるように、動物福祉論は動物の産業利用そのものを否定せず、あくまで産業利用を前提としたうえで動物の苦痛を減らし、幸福状態を高めることを目指す。苦痛軽減や福祉向上を実現するには、動物の内面状態を客観的に評価することが求められるため、動物福祉論は一方で、動物の感覚や生態に関する科学研究を活性化した。
動物の内面状態に関する知見を深めたことは動物福祉論の成果といえるが、動物利用を否定しないその立場は動物の権利論と緊張関係にあり、この両者が相容れるか否かは論争の的となっている。
関連概念:動物の権利論
動物倫理学
英:animal ethics
動物の道徳的地位や、人間が動物に対して負う倫理的義務、ならびにそれらの根拠を探究する学問。これらの主題に関する思索は古代から存在したが、公式的な学術体系としての動物倫理学は、20世紀後期以降に動物解放論や動物の権利論が現れ、その妥当性をめぐる議論が活発になる中で育っていったといえる。
動物倫理学では上記の問題群を考える文脈で事例研究も盛んに行なわれており、そこでは肉食や動物実験から、動物園やサーカス、ペットの売買と飼育、野生動物への干渉まで、人間と他の動物の緊張関係を含むさまざまなテーマが扱われる。
かつては環境倫理学の一環に含まれることもあったが、 今日の動物倫理学は独立した領域へと育ち、時に環境倫理学の主流思想と緊張関係をきたすこともある。
関連概念:環境倫理学、動物解放論、動物の権利論、動物福祉論
【な】
内在的価値
英:inherent value
道具的価値から区別される、その存在自体の価値。ドイツの哲学者イマヌエル・カントの哲学(特にその「尊厳」概念)をもとに、倫理学の中で定式化された。
存在の価値を考える際には、その存在が他者にとって有用か否かといった道具的な次元で測られる価値と、他者にとっての有用性に還元できないその存在自体の価値を区別する必要がある。前者を道具的価値、後者を内在的価値という。例えば、「他者の役に立たない人間に存在価値はない」という思想は、人間に道具的価値しか認めない立場となる。一方、「他者にとって役に立つか立たないかに関係なく、人間はただ存在しているだけで一定の価値がある」と考える立場は、人間に内在的価値を認める立場となる。
現在問題になっているのは、動植物や無生物のような人間以外の存在に内在的価値があるのか、そうだとしたらどこまでの存在にそれがあるのかという問題である。動物倫理学は、動物に道具的価値しか認めてこなかった伝統を批判し、動物の内在的価値を理論的に基礎づける作業に取り組んでいる。環境倫理学は自然物に関して同様の作業に取り組んでいる。
関連概念:動物倫理学、環境倫理学
人間主義
☞ ヒューマニズム
人間中心主義
英:anthropocentrism
人間という存在に最大の価値を置き、人間の独断や目的にしたがって他のあらゆる存在の価値と扱い方を決める思想。その原型は有史以来存在すると思われるが、古代ギリシャ哲学やユダヤ・キリスト教思想において明瞭な形をとった。古代思想は「神中心的」な世界観に則っており、人間中心的な世界観はルネサンス以降の西洋社会において現れたとする議論もあるが、神中心の世界観においても人間は神の似姿かつ存在の頂点とされており、いずれにせよ「神」という形而上学的概念自体が人間の創作物である以上、ルネサンス以前の世界観も実際には人間中心主義だったといえる。「人間中心主義」という語の初出は不明であるが、環境保護思想の発達に伴い、この立場を批判する文脈でさかんに用いられだした。
人間の独自性や固有性は客観的事実として存在するので、それに着目すること自体は人間中心主義にならない。しかし、人間の独自性や固有性を尺度に、他の存在の価値や優劣を決める態度は人間中心主義となる。
人間中心主義は、人間以外の存在に一切の価値を認めないとはかぎらない。むしろそれは多くの場合、人間以外の存在に道具的価値(人間にとっての有用性)しか認めないことを特徴とする。すなわち、この思想のもとでは、あらゆる存在の価値が人間の利益や関心に従属する。例えば、環境保全の議論ではしばしば「このまま環境破壊が進めば私たちの生活が脅かされる」といった主張が現れるが、これは「人間を守るために環境を守る必要がある」という論理構造になっている点で、環境の価値を人間の利益に従属させており、一種の人間中心主義に陥っているとみることができる。
これに対し、人間以外の存在に道具的価値とは異なる固有の存在価値(内在的価値)を認める立場があり、それらは生命中心主義や多種正義、動物の権利論、ディープエコロジーなど、多様な枠組みを形づくっている。
関連概念:内在的価値
【は】
ビーガニズム
英:veganism
あらゆる動物利用への加担を拒む哲学と生活実践。ビーガニズムの実践者をビーガンという。1940年代にイギリスのビーガン協会によって提唱され、のちに定義が整えられた。今日の公式的な定義によると、ビーガニズムとは「衣食その他、あらゆる目的による動物の搾取と虐待を、現実的で可能なかぎり暮らしから一掃しようと努め、ひいては人間・動物・環境のために、動物を使わない代替選択肢の開発と利用を促す哲学と生き方」を指す。
具体的には、肉・乳・卵・魚介類・蜂蜜などの動物性食品、皮革・羊毛・羽毛・毛皮・絹などの動物性衣類、動物園・水族館・競馬場などの動物娯楽、および動物成分を含む製品や動物実験を経て開発された製品を避けることが、ビーガンの実践となる。
もっとも、今日の社会では動物利用を完全に避けることが難しいため、ビーガニズムは「可能なかぎり」の実践を求める。可能と不可能の境がどこにあるかはビーガンのあいだでも意見が分かれるものの、代わりの選択肢があるか否かが一つの目安とされることが多い。例えば動物実験を経てつくられた製品を避けることは基本原則であるが、医薬品に関しては動物実験なしで開発されたものがほぼ存在しない。したがって、健康な生活に必要な限りでの医薬品利用については、現状致し方なしとされるのが一般的である。ただしもちろん、その現状はビーガニズムの倫理観に反するため、ビーガンは動物の犠牲を伴わない医薬品開発を支持する。
関連概念:ベジタリアニズム
批判的動物研究
英:critical animal studies
動物に対する抑圧の問い直しに始まり、あらゆる支配構造の解体をめざす急進的・学際的な研究領域。動物研究や人間動物関係学と呼ばれる分野の悪傾向を乗り越えるべく、2000年代初頭、社会主義者、無政府主義者、エコフェミニストなどの運動家や研究者によって形成された。
批判的動物研究の創始者たちによると、人間と他の動物の関係を考える従来の学術研究は、往々にして人間社会における動物たちの逆境を脇に置き、政治的に無難な議論へと流れる傾向があった。しかし、抑圧が存在する状況で「中立」を装う態度は、結果として抑圧を容認し、さらには強化することにつながる。そこで批判的動物研究は、見かけ上の客観性や見かけ上の政治的中立を排し、抑圧をなくすための研究、解放に資する理論構築をめざす。
現実に根ざした学問体系を築くには、学界と市井の境や専門領域の境を越える協働が不可欠であり、そのために研究者・活動家・市民・非営利組織などの人々が、建設的な対話を通して新たな知識や制度を形づくっていくプロセスが重要となる。また、研究者自身が社会を離れた「象牙の塔」に閉じこもらず、積極的に政治運動に参与し、ビーガニズムなどの倫理を実践することも要求される。
人間と他の動物の関係をめぐる倫理的探究としては動物倫理学があり、批判的動物研究もその理論を大きな基盤とする。しかし、動物倫理学が主として人間以外の動物に対する個人の道徳的な義務や責任を考察の主題としてきたのに対し、批判的動物研究は動物や人間の抑圧を生み出す社会構造へと視野を広げる。のみならず、その体系では動物・人間・自然の抑圧が構造的に絡み合っているという認識のもと、社会システムの変革による総合的解放が最重要課題と位置づけられる。
関連概念:動物倫理学
ヒューマニズム
英:humanism
人間の能力や可能性を賛美し、外的な束縛や抑圧から人間を解放する思想。ギリシャ以来の西洋哲学を背景として、ルネサンス期以降に発達した。
もともとは神中心の世界観や非科学的な迷信、あるいは国家権力による抑圧からの解放を求める哲学であったが、やがてヒューマニズムはその考え方をもとに、個人の自由な自己実現を目指す個人主義や自由主義、理性への信頼に根差す科学合理主義へと結び付いた。
人間の尊厳を基礎づけるヒューマニズムの哲学は、動物の道徳的地位を再考するうえでも有用であるため、動物倫理学の参照点にもされてきたが、その枠組みはあくまで人間の能力や条件を基準にするため、人間からかけ離れた存在の倫理を考えるには適さない部分もあった。そのため今日では、ヒューマニズムの限界を乗り超えるべく、ポストヒューマニズムの思想が注目を集めつつある。
関連概念:ポストヒューマニズム
ベジタリアニズム
英:vegetarianism
肉を食べない食のスタイルの総称。ベジタリアニズムの実践者をベジタリアンという。古代ギリシャのピタゴラスが菜食をしていたことから、かつてのベジタリアンはピタゴリアン(ピタゴラス主義者)と呼ばれていたが、19世紀にイングランドで「ベジタリアン」という語が作られる。
ベジタリアンは肉を食べない人の総称なので、乳製品や卵を摂取するか否かなど、食べるもの/食べないものの線引きによって様々な下位分類に分かれる(ラクトベジタリアン、オボベジタリアン、ラクトオボベジタリアン、ペスカタリアン、フルータリアンなど)。 もっとも、魚肉を食べる「ペスカリアン」や鶏肉を食べる「ポーヨ・ベジタリアン」をベジタリアンに含めると、定義の破綻をきたす可能性も考えられる。
ビーガンも肉食を拒むのでベジタリアンの一種とされるが、ビーガニズムは倫理的なスタンスを表す概念なのに対し、ベジタリアニズムは食のスタイルを表す概念という違いがある。
関連概念:ビーガニズム
ポストヒューマニズム
英:posthumanism
「人間」という概念を再考し、ひいては特異な「人間」概念に依拠してきた知識体系の再構成を目指す学術的運動。ポストモダニズムやポスト構造主義と呼ばれる思想潮流においてヒューマニズムの前提が問い直されてきたことを背景としつつ、20世紀以降に発達した。
ヒューマニズム台頭後の西洋思想では、人間は他の生命と本質的に異なる存在、かつ自然界から独立した存在とみなされてきた。例えば人間は理性を具え、言語を用い、社会を作り、歴史を歩むなどの点で、他の動物とは一線を画すとされる(ヒューマニズムではそれが人間の尊厳の根拠とされる)。そして西洋文化圏の知識体系はこの認識を前提に形作られてきた。
しかし、世界に関する知識が増える中で、人間と他の生物の共通性や連続性が明らかになり、人間の身体・文化・社会・歴史などがさまざまな地球存在との相互的な関わりの中で形作られてきたことも浮き彫りになった。加えて、人間の専売特許とされてきた理性や言語や社会が動物界に広くみられることも判明し、推理や言語を駆使する人工知能なども登場したことで、人間を特別視する根拠は瓦解を迎えた。
こうした背景のもと、西洋的ヒューマニズムの人間観と、それを前提とする知識体系は修正を迫られることになり、ヒューマニズムを乗り越える思考の実践として、ポストヒューマニズムが形づくられた。
関連概念:ポストヒューマニズム
【ま】
マルチスピーシーズ民族誌
☞ 多種民族誌
