人間以上の存在を視野に入れる倫理は、今になって生まれたものではない。動物や自然に関する道徳的な教えは古くから存在し、20世紀には環境倫理学や動物倫理学などの分野が生まれた。そして21世紀に登場したのが多種正義(multispecies justice)という分野である。これは多種研究をもとに形作られた正義理論で、動植物や微生物や生態系などの絡まり合いを踏まえ、人間の便宜だけを考えて作られた制度や経済システムの転換を図る。
本稿では、この多種正義という新興分野が国際的にどう受け止められ、どのような議論や実践を生んできたかを見つめてみたい。日本ではまだ多種正義という分野そのものが知られていないが、諸外国では既にその研究が進んでいる。そこで、各国の関連資料を集めたところ、いくつかの重要な論点が浮かび上がってきた。
多種正義の基本前提
ここでは韓国・中国・ブラジルの三カ国における研究動向に的を絞るが、いずれの地域の議論においても重視されていたのは、主に以下の点だった。
- 主体性は人間だけに具わったものではない。
- 人間以外の生きものたちは人間と生活圏を共有している。
- 私たちは種の違いを超えて共通の困難に直面している。
- 人間と他の生きものたちは等しく政治的な代表権を持つ(べきである)。
これらの認識は、地域や言語や文化圏を越えて共有されており、多種正義の哲学における基本前提となっている。
しかし、それをどのような実践や問題提起につなげていくかは地域によって違いがみられた。
都市・建築デザイン
韓国や中国では、種を超えた民主主義や共存を築くという展望が、多種共生型の都市デザインや建築デザインの実践に結びついているらしい。
例えば文化技術哲学者のヒョン・ナムソクは、既存の都市が人間以外の動物たちにとって「きわめて不正な空間」となっていることを問題視し、法的保護と科学的・芸術的実践の必要性を説く1。「科学的・芸術的実践」という言葉は抽象的だが、これはダナ・ハラウェイに由来するアイデアで、多様な参加者による環境調査や、多種の関係に光を当てるアート作品の創作、都市農業や再野生化などのプロジェクトを指す。
中国でも多種正義に対する建築デザイン分野からの関心は強いが、韓国に比べると既成秩序への批判というニュアンスは控えめである。注目したい実践活動の一例として、中国鉱業大学建築デザイン学部のワークショップでは、基調講演者の趙瀟により、都市化される環境に暮らす生きものたちの境遇を考え、かれらに関する思考をデザインの中に取り込むべきことが論じられた。受講者の学生たちはその後、粘土や石、ダンボール、永生花(プリザーブド・フラワー)などの素材を使い、人間以外の視点から「矛盾を調和させる」デザインを創作したという。現場の写真からも、多種正義を形にする実験的試みとして活気を帯びたことが窺える2。
動物と自然の権利
ブラジルでは、多種正義が動物や自然の権利を求める政治闘争へと結びついている。例えば環境・動物倫理研究所(LEA)は、多種正義をテーマとするセミナーにおいて、人間と他の動物の双方にとって抑圧的・搾取的でない社会モデルを考えるという目標のもと、「動物と生態系」「肉食文化、農産業、農薬」「アメリカ先住民の宇宙観と動物」「脱植民地主義と反種差別」「動物主義のエコフェミニズム」「種差別と人間中心主義」「人種差別、シス異性愛主義、種差別」などのテーマ軸を設けた(なおブラジル・ポルトガル語で農薬はagrotóxicos、つまり「農毒」という3)。
また、法学者のジェシカ・アラウージョは、動物を抑圧する植民地的な法律モデルに対抗すべく、多種正義を要求する。解きほぐすと、ここには二つの問題軸がある。第一に、植民地主義にもとづく法律は動物をモノの地位に置いてきた。しかし第二に、それに対抗する動物の権利の理論も北側諸国の枠組みにもとづいている。そして、この二つの問題を克服するには、植民地的な法律モデルを問い直す運動が必要だというのである4。
この指摘は無視できない。つまり、動物をモノ扱いする見方は植民地主義に根ざしている。よって、その克服に必要なのは、植民地化を推し進めてきた西洋由来の動物倫理ではなく、脱植民地化と一体になった動物擁護である。
この考え方は自然の権利に関しても共通する。もともと自然の権利は主に中南米の先住民が中心となって法制化を進めてきたもので、ブラジルではいくつかの州が河川の権利を公式に認めている。その具体的な内容は、自然な水流の維持、河川の生物多様性の維持、有害な介入の禁止、河川保護委員会の設置などである。先住民の人権擁護に携わる弁護士のカロリーナ・リベイロ・サンタナは、「自然の権利と多種正義」と題した記事の中で、自然の権利を認めれば自然は法的主体となり、人間が無制限に「天然資源」を搾取することは許されなくなる、と解説する5。
欧米圏では環境倫理学と動物倫理学が分断されているが、ブラジルではこのように、動物の権利と自然の権利を求める運動が、植民地主義への抵抗という点で結びつき、多種正義の実践へとなだらかにつながっている。
気候変動と、それ以上のもの
今日の環境論では、気候変動が大きなテーマとなっている。多種正義の議論にもその視点はあり、例えば中国の杭州で開かれた世界生物圏保存地域世界大会(MAB)に向けた報告では、ラテンアメリカの先住民思想を参照しつつ、多種正義が「先住民や他の周縁化された集団による、略奪と気候植民地主義への抵抗」であるという見解が示された6。
また、文化人類学者のチェ・ミョンエは、持続可能な技術とされる海上風力発電が、人間以外の生きものを苦しめることになり、「多種気候正義」に反すると論じる7。このように、主流の気候正義が人間の利害だけに囚われていることを浮き彫りにする点も、多種正義を考える意義の一つとなるだろう。
一方、ブラジルでは意外にも、多種正義の議論で気候変動にフォーカスが当たることはそれほど多くないらしい。環境保護の中には気候変動への対策も含まれているはずだが、ブラジルでは鉱物の掘削に象徴される「抽出主義(extrativismo)」などの不正が深刻な問題となっているので、環境へのまなざしが気候正義だけに限定されないということなのかもしれない。ただし、多種正義という分野を離れてブラジルの環境保護運動全体を見渡せば、気候変動の問題はやはり活発に議論されている。

絡まり合い批判
最後に、多種正義の受容に関わる重要な傾向として、韓国の論文には多種研究に対する批判が見られた。例えば、文化人類学者のチョン・ウィリョンは、多種研究が資本主義や父権制や不平等などの社会関係を人間の問題として遠ざけ、多種関係を「絡まり合い」や「共形成」などの枠組みに閉じ込めてしまうという懸念を繰り返し問題化してきた。そこではアナ・チンの著作も、環境危機における人間の責任をうやむやにし、「人間以外との相互的な結び付きに身を任せる楽観的無気力感を生む」と厳しく評価されている8。これは多種人類学に対する批判であるが、その系譜から直接派生した多種正義にも関わる問題提起と読めるだろう。
今後の展望
多種正義は欧米圏の多種研究に根差す枠組みとして誕生しながらも、世界の諸地域で受容され、様々な論点や実践を生んできた。と同時に、多種研究の持つ危うさも指摘されている。これらの論点・実践・問題提起を受け継ぎ、発展させていくことが私たちの――そして多種解放の――課題だろう。
ここでは韓国・中国・ブラジルの研究から、特に注目される例を集めてみたが、もちろんこれがすべてではない。人間と人間以上の関係に生じた歪みを正し、より良い関係を育んでいくための着想は、おそらく人の数以上にある。それは必ずしも専門知に関わるものとは限らず、例えば日常の一コマを振り返ったときに、はからずも自分の生活と広い世界とのつながりを発見することもあるだろう。もしもそのような気づきを得た読者や、ともに深めたいアイデアを持つ読者がいたら、ぜひ声を聞かせてほしい。
今後のLIMINOSCOPEでは、環境、技術、食、ケアなど、より具体的なテーマに即し、読者とともに多種関係の倫理を深めていきたい。
註
- 현남숙 (2025) 「다종 간 도시를 위한 정의의 모색과 실천 – 너스바움의 다종 공동체와 해러웨이의 테라폴리스에서의 다종 간 정의를 중심으로」도시인문학연구 2025 17(1), pp.93-116, DOI : 10.21458/siuh.2025.17.1.004.
- 林仁强 (2025)「建筑与设计学院研究生会举办“后人类家园”——共同想象工作坊」建筑与设计学院, https://design.cumt.edu.cn/info/1016/5423.htm (2026年6月7日アクセス)。
- Laboratório de Ética Ambiental e Animal (2023) “3º Seminário de Ética Ambiental e Animal do LEA: Justiça Multiespécie,” https://lea.eco.br/4o-seminario/ (2026年6月7日アクセス)。
- Jessyca Caroliny Fernandes Araujo (2025) “Decolonizando a animalidade : uma análise decolonial dos fundamentos teóricos que permitem pensar os direitos dos animais no Brasil,” 152 f. Dissertação (Mestrado em Direito) – Escola de Direito, Turismo e Museologia, Universidade Federal de Ouro Preto, Ouro Preto, 2025.
- Carolina Ribeiro Santana (2024) “Direitos da natureza e justiça multiespécie,” JOTA, https://www.jota.info/opiniao-e-analise/artigos/direitos-da-natureza-e-justica-multiespecie(2026年6月7日アクセス)。
- 生物通 (2025)「综述:联合国教科文组织生物圈保护区中的生态社会和平与多物种正义:一种和谐共处、去殖民化的后增长时代保护理念」https://www.ebiotrade.com/newsf/2025-11/20251122085618249.htm(2026年6月7日アクセス)。強調は引用者のもの。
- 최 명애 (2023)「인간 너머의 기후정의」대한지리학회지 58(4), pp. 452-468.
- 전의령 (2025)「인간중심주의 비판을 넘어서 – 포스트휴먼·다종 인류학에 대한 비판적 검토」, 경제와 사회 145, pp. 240-283.
また、以下も参照。
전의령 (2023)「유기견 쉼터에서의 불연속적이고 파편적인 마주침들: ‘다종의 윤리’로 귀착되지 않는 비판적 에스노그래피를 위한 소고」, 한국문화인류학 56(3), pp.3-40.
