なぜ「多種解放」なのか
《交界の羅針盤|Pyxis Limethica》が「多種解放」を掲げるのは、人間と他の生きものを本質的に切り分ける近代的思考そのものを問い直すためである。
「人間/動物」「文化/自然」といった二元論は、主として西洋近代の思想史において形成された枠組みであり、世界の多くの地域においては必ずしも自明なものではなかった。事実、さまざまな先住民社会や地域的世界観の中には、人間を他の生命や環境から切り離された存在ではなく、関係の網の一部と捉えてきた語りや営みが存在する。
多種解放はこの認識のもと、人間だけの解放でも、動物だけの解放でもなく、人間と人間以上の存在からなる関係そのものに組み込まれた支配や抑圧の力学を見つめ直し、それを自明視してきた思考様式を改めていく試みである。
言語の脱中心化について
《交界の羅針盤》における言語研究は、「中央」に位置するとされてきた言語や思想から世界を眺めることを目的としない。異なる言葉や語りを「標本」として鑑賞する態度、あるいは「理解」の名のもとに新たな支配関係を築く傾向からは明確に距離を置く。
ここでの目的はむしろ、言語や思想を脱中心化することにより、西洋/日本中心的な視点がいかに狭窄なものかを可視化することにある。各々の言葉や語りは「説明される対象」ではなく、既存の思考枠組みに問いを突きつける存在である。
立場性と限界について
《交界の羅針盤》の案内人は、ビーガニズム(脱搾取)を含む特定の倫理観や価値観を有する学習者として、この研究に関わっている。その立場性を隠すことはしない。また、人々の世界観や生命観が様々な生活条件の中で形づくられてきた事実を踏まえ、個々の語りを単一のモデルとして称揚すること、あるいは理想像として固定することを慎重に回避する。
同時に、研究という営みが構造的に客体化や非対称性を伴いうる事実、そしてその危うさを完全に解消することはできないという事実も無視できない。したがって、ここでの言語研究は完成された理解や解釈を提示するものではなく、誤謬や不足を含みうる暫定的な試みであることを自覚する。
対話と主導権について
《交界の羅針盤》における言語研究は、当事者による批判・検討・再解釈に開かれている。ただし、その対話に応じるか否か、どのように関わるかの主導権は、常に当事者の側にある。本プロジェクトは対話を要求するものではなく、拒否も含め、各人の判断を尊重する。
